「遥かなる 文化伝来 二千年 歴史の深さ 何も惑わん」

 日本とお隣り中国との交流の歴史は、2千年以上におよぶ。稲作の伝来に始まり、鉄器・青銅器や農耕に使用する器具など、島国日本に、中国から朝鮮半島(今の韓国・北朝鮮)をへて伝来した。 また、儒教、仏教や漢字、絹織物、寺院などの建築物も、渡来人により同様の経路をたどり伝わった。この渡来人は、当時の日本人に漢字を伝え朝廷での政治や財政、外国への手紙などの作成にあたったり、日本のおこりを記録した「古事記」や「日本書記」そして、地方の国ごと
の記録「風土記」などの編さんに多いにかかわり、大和時代の日本人を指導した。
 唐の僧、鑑真は、幾度も遭難し、盲目になりながらも日本に渡り、仏教を広め、奈良時代には、唐風の文化が栄えた。奈良の東大寺、そして大仏は、代表的なものである。
 我々の祖先は、中国、朝鮮半島の渡来人の影響を受け、その文化を摂取、同化して、平安時代には、漢字を変化させ、日本語の発音をあらわせるように工夫したかな文字が出来た。紀貫之が編集した「古今和歌集」や紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕草子」などのすぐれた文学作品が生まれ、仏教は、特権階級の仏教から、鎌倉時代には、庶民への仏教に広まりを見せた。
 鎌倉時代、宋を倒した元のフビライ・ハンは、都を北京に移し、中国全土を支配したが、その勢いにのって、1274年(文永11年)元軍は、朝鮮の高麗の軍とともに、対馬・壱岐をへて北九州の博多湾にまで攻め入った(文永の役)。そして、1281年(弘安4年)にも、攻めよせてきたが、暴風雨によって、大損害のまま退散した(弘安の役)。その後も、日本へ攻め入る機会をねらっていたという。
 その後も中国とは、貿易や文化交流で、深い関係はつづく。孫文、蒋介石、周恩来は日本へ留学し、学んだことを中国の革命に生かしていく。第2次世界大戦においては、悲しいことに日中は戦争に突入していった。ご承知のとおり、日本は敗戦したが、1943年(昭和18年)に、すでに、日本敗戦処理の会議がエジプトのカイロで、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、そして中国の蒋介石国民政府主席が出席して行われていた。その席上、蒋介石が、歴史に残る名言を発した。「恨みに報ゆるに徳を以って成す。」と。そして、蒋介石は①日本国土の分断策に反対  ②戦争賠償の辞退  ③中国在留の日本人の無事帰還  ④天皇制の存廃に関しては日本国民自身の決定に委ねるべきと論ずる。などの当時の日本にとって誠にありがたい主張をしていた。
 中国や朝鮮との歴史を長いスパンで、繙(ひもとい)いてみると、我々日本は、中国や朝鮮から大いに影響を受け、切っても切れない程の縁と深い歴史の重みがある。
 しかし、悲しいことに、現在、中国や韓国で連日のように、反日デモがくり広げられている。大使館や領事館におしかけ、小泉首相の写真や日の丸を焼きすてたりしている。誠に悲しい限りである。中国や韓国の国民は、自身の国の祖先がどれだけ日本に対して指導し大きな貢献をしてきたか、もっと誇りをもってほしい。我々日本人は、今日の日本及び日本文化の繁栄に大きく寄与した貴国の先達に大変感謝している。貴国の国民が、貴国の歴史に誇りを持つように、我々日
本人も、我々の先達が築きあげたこの日本の歴史に誇りをもっている。我々が、貴国の歴史の教科書が気に入らないから、変えろといっても、言うことはきかないであろう。それを主張する権限は、日本人にはないからであります。
 今、中国は、急速な経済成長をしている。日本の経済界も積極的に交流しているという。それは、とても喜ばしいことだ。日本は今や韓流ブーム。経済・文化が積極的に交流し、お互いの信頼と繁栄が得られればと考える。
 我々教育に携わる者は、反中国や反韓国というような小さな感情をもつ日本人をつくってはならないと思う。誇りある日本人として、このような中国や韓国の人たちの感情を心から打ち消せるようなグローバルな、スケールの大きい世界のリーダーとなり得る日本人を育てていかなければならないと思う。今、教育の力はとても大きいと考える。傍観的であってはならない。
(平成17年度5月)

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