「子ども等が学舎の中あれこれに稚心を去れと願いを注ぐ

 平成16年度、お陰様で順調にスタートしています。1年生は真新しい本校の制服に身をつつみ、早朝の正門で元気よく、あいさつが出来ます。初々しいとは、この1年生にあるような言葉です。2、3年生は、それぞれ進級し、らしさを感じます。
 さて、順調にスタートを切った子どもたちですが、その中でいくつかの学校生活での様子を紹介しましょう。
 その一、トイレや廊下についているスイッチが、いたずらをして、よく壊されます。その度に、和泉校務員さん、教頭先生、教務主任の足立先生等が直しています。最近では、2年の女子生徒数名が壊われているのをみて、私たちが直しますとボランティアで直してくれました。とてもうれしくなりました。
 その二、毎朝、生徒会の係の生徒、先生方と当番の保護者の方々が、あいさつをしながら登校する生徒を迎えています。8時15分には、正門をくぐらなければ、8時20分の担任による出席確認、健康観察には、間に合いません。いつもその頃、ぎりぎりか、あるいは2〜3分遅刻をして走って登校する子は、だいたい決まっています。
 その三、身だしなみです。ワイシャツを出す。ネクタイをしっかりとしめない、ズボンをずり落としてはく。これは三年生の男・女に多い。まさに子供っぽいと言っておこう。
 橋本左内は、越前の国(今の福井県)の出身で、大阪で緒方洪庵の適塾に学び、当時としては最新のオランダの学問を修めた医師となり、越前藩主の松平慶永公の命を受け、藩の学校、明道館の学監を勤め、教育の改革や推進にあたり、江戸に出ては藩主の手足となって国事に奔走し、水戸藤田東湖や薩摩の西郷隆盛とも交流をもち、残念ながら、安政の大獄で26才の若さで没しています。
 その橋本左内は、弱冠14才で「啓発録」という本を執筆しました。その本は、① 稚心ヲ去ル ② 気ヲ振ルウ ③ 志ヲ立ツ ④学ニ勉ム ⑤交友ヲ択ブ の5項目からなっており、それぞれに解説の文章がついています。その中の ①稚心ヲ去ルでは、次のように説いています。「稚心とは、いわゆる、幼な心のことで、俗に子供っぽいということである。何も人間のみに使用されるものでなく、たとえば、果実、野菜などでも未だ十分に熟しない間を「稚」と称する。それはすべて水くさく、成熟した本来の味をそなへない間を言う。何物にもよらず、この「稚」を離れない内は発展するものではない。人間も勿論この例外ではなく、楽しい遊びなどを好み、あるいは、何の種類に よらず口当たりの甘いものをむさぼり、勤勉する気なくは母の目を盗んで、自己の修業を怠り、又は父母への依頼心強く、厳格な父を恐れて、穏和な母の膝下から離れない類は、皆少年の水くさい心が原因となっている。これも余りに年齢が幼なければ、止むを得ないと許されもしよう。しかし、十三・十四才にもなり、学問に志した後にも、この心が僅かでも残っているならば何事も上達はしない。
 源平が東西に分かれて覇を争った時、十二・十三才で父母から離別して初陣し、多大の功名を成し、天下に名を挙げた人物も少なくない。この人々は、その頃には既に全く稚心を去っていたので ある。 故に自分は武士道の第一歩の心得として、稚心を去ることを主張する。」と。当時、認めている。
 昔は、15才になると、元服といって大人となる儀式を行った。左内のいう通り、十二、十三、十四才の年頃では立派に稚心を去って父母から独立する者がいたのであります。時代背景が違うとはいえ、同じ世代です。諸君には、自らの稚心を去り、心を磨き、身体を磨き、智性を磨くことを学校生活の中で実践してもらいたい。
(平成16 年度5月)

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