第五章 短  歌

短  歌

新春に 新たな決意 したためて 一年の計は 元旦にあり

受験戦 わが身の幸運 祈る子等 果報は練って 待つと言うなり

何事も 苦しむことが 礎と 日々新たなり 巣立ちの子等へ

巣立ちいく 子等への式辞 「橋本佐内の稚心を去る」語る

巣立つ子等 瞳輝き 高らかに 響く歌声 胸熱く聞く

病臥し 師の奥方の 病状に ご快癒あれと 今日も祈らん

大志抱き 意気揚々と 励む子等 見つめる眼まなこ おのずとゆるむ

子ども等らが 学まなびや舎の中 あれこれに 稚心を去れと 願いを注ぐ

まず個性 尊ぶことで よいのかと 人の温もり 人の道をば

深ふか緑みどり 鮮あざやかなりて 水上や あれがよかった これもよかった

子ども等の 京の生活 楽しけれ 松井の宿を 揚々と出ず

師の思い 知るか知らぬか わからねど 心の糸は 切れぬものかは

長慶の 皇の御陵 たずぬれば 静けさの中 征時をしのぶ

修行僧 あせた衣に つぎはぎの笠 嵯峨野を仰ぎて 渡月にて長ながの托たく鉢はつ

桂川 渡月の橋に 嵯峨野のみどり 信心深い 京の人、人

シベリアの 同はら胞からの霊 まつらんと 天龍寺 慰霊の碑に合掌す

うっそうと 竹林の上 あおぎみて 木もれ陽の中 緑はえゆる

同僚の なつかし姿 うかべつつ 友のきずなは 今も変わらじ

限りある 命などとて 精一杯 才さいを振るいし 天に召される

師のつどい 思いを語り 楽しけれ 教育の道 強こわに努めん

何事も 難乗り越えて 活路あり 生きる力は 幾重にふくらむ

夕暮れの リリア近くの にわか雨 車中窓あけ 手をふる宮様
(秋篠宮殿下におめにかかる)

雨の中 傘さし一人 交差点 車中手をふる 宮様へ敬礼

宮様の 慈愛あふれる 御み心こころに 一すじの露つゆ 頬ほほを伝わる

宮様と 目を合わせつつ 最敬礼 胸元の震ふるえ しまらく止やまん
(H16年9月11日)秋篠宮殿下にお会いする(埼玉夏季国体開会式にて)

全国と 関東大会 出場す 青中の意気 さらに高めん

豊かなる 世に生きながら 退化する 知らず知らずに 耐える心こころ身みが

人生は 人それぞれに 大たい望ぼうあり 耐えて乗り越え 業を成さん

学ぶとは 窮きゅうに惑わぬ 力なり 子等を導く 指針とすべし

我が業ぎょうの 歩みいたれど 幾十年 未だ初恋の 半ばなりしは

豊かなる 世の中に在り 気づかぬは 謝恩の心と 辛しん苦くの備え

子の善導 親と教師が 共働し 額ぬかに汗して 叶うものなり

新たなる 決意を胸に 精進す 子等の姿を 思いうかべん

遥はるかなる 文化伝来 二千年 歴史の深さ 何も惑まどわん

非行の芽 今に芽ばえる はずがない 家の窓から 学まなびや舎の窓から

大空を 伸びやかに羽を 広げてく 鳩の姿に あこがれ思う

濃こ緑みどりの 浮かぶ白雲 のどかなり 嵯峨野の里で 心いやさん

水しぶき たおやかなりて 渡月橋 底石の色 大堰の流れ

舟頭が ろをこぎし舟 風情あり 桂の川で しばし見とれん

日傘さし 行きかう人は 渡月橋 日よけするすべ 今もかわらじ

人の道 竹のごとくに 進みよや なぜか人生 う余に曲がれり

人力車 舞妓となりに 初老あり 人の人生 はかなきかなと

清涼寺 一切経を 拝みつつ 子への望みを 奥より願う

玉砂利を 踏みし足取り 堂近く 仏の道を 開く嵐らん山ざん

嵐あらし山やま 慈悲の空気が ただよいて 人々の顔 拝み安らぐ

子等が喜々 旅のつかれが いやされて 松井の宿に 舞妓が二人

「この道三十年 成せばなる ただ精神力あるのみ」 鈴虫寺にて

執務室 静寂の中 ふときけば 木々のうちより みんみんみんと

子育ては 親や教師の 心がけ するように育つが 子どもなりけり

体たい磨き 心を鍛え 智を得うれば 平たいらき人こそ 世の為になる

積み重ね 積み重ねゆく 営みが 気づかぬうちに 伸びゆく子等に

水清く 袋田の滝 ながむれば 日々の営み 心洗わる

友思う 心根深く 美しき 純な瞳に 心打たれる

何事も 全力にて ぶつかれば 不覚あれども 道は拡ける

子の思い 行ふ動りをみながら 推おし測はかる 察さっする心が 導みちびきとなる

寛容と 厳きびしさあわせ 指さし示す 教えは今でも 変わらなきなり

日の本の 黎明時どきに 無心なり 青せい淵えんありて 業ぎょうに至らん

飛鳥山 静けき中に 忍ばれる 拡き心に 庭園たたずむ
(H20年5月5日)飛鳥山渋沢栄一庭園にて

悲しきや 遊女無縁の 浄閑寺 白い骨壷 哀れ嘆かし

美しき かんざしさして 浮世出いで 哀れ慈愛の 仏ほとけ道みちあり
(H20年5月5日)南千住浄閑寺にて

猛もう士しの業ぎょう讃たたえ敬うやまい 忍ぶれば 我が国くに柄がらを 憂い正たださん

我国の 姿嘆かし 幕末の 志士に頼まん この国の末を
(H20年5月5日)南千住回向院にて 吉田松陰先生、橋本佐内先生墓前にて

嵯峨野山 緑の木々の 山並に 桂のしぶき 舟一そう浮かぶ

陽ひが照らす 緑の濃さの はつらつさ 水みな面もに浮かぶ 嵯峨野の姿も

国の今 行きかう人の 渡月橋 渡る人々 それぞれに行く

京の町 いにしえの香り いずこにあるが 安堵のところ 嵐らん山ざんにあり

瞳澄む 子等の姿は 桂川 久ひさ々びさの感 性さがが湧き出る

亀山の 石段登り たずぬれば 竹枝のへい 一すじの道

木々の間に 小鳥さえずり おだやかに 青天おがみ 心まどろむ

野ののみや宮の 竹林の間の こもれ陽は 肌さす暑さ 清涼に思う

乙女子が 白球求め 二年余に 最後の姿 正に清心
(南中ソフト部学総にて)南中だより

志こころざしありてこの世は 見えるもの 探し求めよ 心意気燃え

平たいらなる 心持にて 信しん集つどう 何いず処こにありても 誇り忘れじ

学力と 豊かな心が 培われ 身体を磨けば 鬼に金棒

湖に 浮かぶ国土の 国くに民たみが 必至に懸かける 教育の道

国のため 我が身を奮ふるう 呪文なり 弱気は己おのれを守る 心なりけり

解き放つ 自由の先の 裏側に あるは責任 為して信得る

行く末の 道筋つける 試練かな 臨む心ぞ 果報あり得る

震災の 復興めざし 出来ること 節度節電 皆でするのみ

郷ふる土さとの 偉人の業ぎょうも 国の為 我ら思いて 復興助く

嵐山 ぼんやり姿 月明かり 渡月の橋で せせらぎを聴く

大川小 七十余名の 幼おさな子ごが 学んだ黒板 無言で語る

広大な 豪州の地に 多民族 明るく拡ひろく 我が子等が征く

秋空に 蛮ばん声せい響く 舟戸原 至し誠せいよ届け 被災の空へ

山々の 地ちより出いでいる 湧わき水の 子こ等らの力と 思い感ずる

フェアプレー ルールのもとに プレーする 勝かち負まけの後に 健闘讃たたえる

美を求め 世の行く末を 託す人 志こころざし掲かかげよ 高くに強くに

人救い 尊い命 世のために 粗末にするは 歎なげかわしきかな

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