「子の思い 行動(ふり )をみながら 推 し測 る  察 する心が 導 きとなる」

  「目は口ほどに物を言い」とは、よくいったもので、目は本当に、様々な表現をするものである。 笑っている目。悲しい目。怒った目。助けてほしいという哀願の目。本当のことを言えなくて困っ ている目。目は様々な表現が出来る。 小学生の頃である。当時給食の時間に、肝 油(たらなどの肝臓からとったあぶら、ビタミンA・ Dを多く含むゼリー状の粒)が配られた。今でいう栄養剤である。転校生だった私は、机の上に 2粒置いてあったものを、なんのためらいもなく食べた。しかし、実は、2粒のうちの1粒は、 私の隣の人のものだったのである。 すべて、配膳が終わり、当番からいただきますの号令がかかった後、となりの子が、わたしの 肝油がないと騒ぎ出し、担任の先生に訴えた。先生は、「○○さんの肝油が足りないのですが、 肝油は一人1粒ですよ。」とおっしゃった。私は、その時、自分が○○さんの分まで食べてしまっ たことを自覚した。先生は、確認のために、一人一人に、何粒食べたか聞きにまわった。だんだ ん先生がせまってくる。いよいよ、私の番である。「坂本君、何粒食べた。」私は、ぎこちなく、 「はい一粒です。」と、答えてしまった。何という情けなさよ。思わず、そう答えてしまった。私の心の中は、さっき先生が「肝油は一人1粒ですよ。」と言った時、「先生僕間違えて2粒食べて しまいました。」と言えばよかったと。機を逸してしまった。後悔の念でいっぱいであった。転 校生の私が、図々しく、人の分まで食べてしまった。それがわかったら、どうなるのだろう。様々な葛藤が私の中にあった。たぶん先生は、その時の私の目を見て、私が食べたことを察したので はないかと思う。私は、本当の事を言えなくて後悔している目をしていたと思う。先生は、何気 なくそれを確認すると、「先生の余分の肝油があるし、○○さんどうぞ」と肝油1粒を渡し、「きっ と何かの間違いがあったのですね。」とおっしゃった。「さあ、みなさん給食を食べましょう。」 と何事もなかったように処理された。 今でも忘れない。悪い事をした私に、先生は何のとがめもせず、転校生の気持ちを察してくれ たのだと…。この先生を大好きになった。そして、絶対裏切らないと子ども心に思った。 教育というものは、とても深いものである。子どもの真意を酌みとるためには、見えざるもの を見たり、聞こえざるものを聞いたりすること、即ち、子どもの心情を「察する」ということが 重要である。    「察する」には、二つの道がある。一つは思いやりであり、一つは推測することである。思い やりは相手の立場になって考えることであり、共感的な察しである。推測は、様々な子どもの様 子に基づいて検討し、客観的に察することである。母親は、口の聞けない乳児の心中を察することがなければ、育てることができないという。子どもが、大きくなって口を聞けるようになって も、子どもの心中を「察する」営みを忘れてはならないと思う。 いよいよ、3年生は、受験の佳境に入ってきた。諸君の心中を察する。それぞれの望む進路を 勝ち取ってほしいと祈るばかりである。

(平成 17 年度2月) 

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