「平らなる 心持ちにて 信(しん)集う 何処(いずこ)にありても 誇り忘れじ」

 人間の誇りって何だろう?と考えてみた。日本語では「誇り」だが、英語では「プライド」と言ってよいのだろうか。微妙にその意味合いが違うような気がするが、私には分からない。
 平成20年6月。イタリアの世界遺産であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に、日本の女子大生が観光地を訪れた証として自分の氏名と在籍する大学名とを書き、大問題となり外交問題にまで発展した事件があった。思い出した方もおられるだろう。それが悪意に満ちたものではないことは、イタリア当局の寛大な対応からもわかるが、私はこのニュースを聞いて、日本人として恥ずかしいという思いに駆られた。また、外国で日本人が犯罪行為をしたというニュースを耳にするたび心が痛む。何処にあっても日本人としての誇りがあれば、落書きではなくて写真を撮ったであろう。そして、犯罪行為にストップがかかったのではないだろうか。外国へ行って日本人としての恥はさらしてはならないという心持ちが、日本人としての誇りというものだろう。インターネットのブログに中国人のこんな一文が載っていた。「日本は原子爆弾を2発も落とされたにも拘わらず、誰もそれを厳しく非難しない。中国は南京大虐殺を日本の『弱み』としてしっかり握りしめ、放そうとはしない。日本はすでに謝罪しているではないか。例えば、私が何か過ちを犯し、人々は私を非難したと仮定しよう。私は謝罪し、補償したが、人々は私を許してくれないとすれば、私は一体どうすればよいのだろうか?日本という国は、『学ぶべき国家』として映る。第二次世界大戦で大きな損失を被った日本だが、わずか50年ほどで再び世界の強国として返り咲いた。一方、5千年の歴史を持つ中国が日本に及ばないのは一体なぜだろう。全ての民族に欠点は存在し、それは中国人も同様である。しかし、欠点があることを認めず、改善を知らないことは恐ろしいことである…。」とあった。尖閣諸島の漁船衝突問題に対処する中国の首脳は、この一文をどう受け止めるだろう。私は敬服した。この方は真に中国を愛し将来のあるべき姿を思う誇りある中国人だなと思った。このような考え方でつき合えたなら、日本と中国はさらにお互いに仲良く発展することが出来るであろう。
 さて、大相撲秋場所で横綱白鵬が、4場所連続の15戦全勝で優勝し連勝を62に伸ばした。この記録は昭和以降の大横綱、双葉山に続く大記録である。今後、この記録は双葉山を凌ぐことになるだろうといわれている。大横綱白鵬が、優勝インタビューで「私は、決して力が強いわけではない。運は、勉強、精進した人に神様が与えてくれる。」と語った。入門以来努力と精進を重ねてきた誇りが、このような言葉となったのだろう。ご承知の通り白鵬はモンゴル出身の外国人力士である。ともすると、日本人の中には外国人ではないか、それではつまらない。という人がいる。私はそうは思わない。野見の
宿禰(のみのすくね)以来、今日まで続く古来の日本の相撲を、日本の歴史・伝統・文化を、それも相撲協会の今日の危機を外国人でありながら守り、その頂点となった横綱である。それを外国人だからという考えは誇りある度量の広い日本人とはいえないだろう。白鵬の偉業を心から讃える日本人でありたい。それが誇りある日本人である。よくぞやってくれた、と。
 諸君。誇りとは、フェアな精神の下にある。だから誇りある者には信頼が集まるのである。1・2年生の諸君10月1日から始まる新人戦では南中生としての誇りを胸に正々堂々と戦ってきてほしい。3年生はこの精神で学校生活と進路の勉強を。そして、1、2年生のデビュー戦を応援してほしい。頑張れ。南中生。
(平成22年度10 月)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です