熊本の地震

熊本そして大分は本当に大変な状況になっていますね。
犠牲になられた方々、被災に逢われた方々には心からご冥福をお祈りするとともにお見舞いを申し上げます。

実は熊本に地震のあった前日の13日に視察のために宿泊しておりました。
地震当日、14日の朝に熊本駅を新幹線で佐賀に向かい佐賀市議会の視察を終えて長崎に宿泊する夜、ホテルで震度4の地震に遭遇しました。
凄い揺れで、すぐに東日本大震災のあの揺れを思い出しホテルの目の前が海であったので津波が来るなと思い覚悟を決めました。

テレビでは熊本が震度7。
「これは凄いことになったな。でも津波の心配はないとのこと。これは新潟の地震のように活断層の活動による地震かも?」と考えているうちに、余震がありました。
九州は本州、とりわけ東日本に比べると地震は少ない、こんな大きな地震は今までなかったでしょう。
「被害はこれからきっと甚大になる。」そう思っていました。
私だけなのかどうかわかりませんが、「来たら来たで、よし、仕方がない。」と腹が決まっていました。
「さあ来たか、海が目の前のホテル。5階に居るけど津波が来たらその時はその時、黙って神様に委ねよう。」と一瞬の時をそう思っていました。

人間の死はいつやってくるのかわかりません。
犠牲者の方もそうです。
突然に予想もつかずにやってきました。
だから思うんです。「人間は日ごろの生き様が大事だな。」と。
被災者が亡くなられた方を語っていました。
「優しい方でした。」とか、「人のために一生懸命の人でした。」とか。
亡くなられた方は、自分のことを誉めてくれているのに死んでしまったのでわかりませんが、残されて生きている人に、人格を誉められ
敬意を表される生き方が出来たことは、よい人生を送り、人のためになり、少なくとも社会に貢献できた生き様をしたのではないでしょうか。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残すなどといいますが、別に名を残さなくても一人でも、二人でもいい、「あの人にお世話になった。」「優しい人だった。」「亡くなってしまわれたことがとても悲しい。」などといわれるような人が人生の終焉を迎える時に居ればもうそれで十分。
他に何も残す必要もないのではないかとも思います。

翌15日の早朝、散歩がてら長崎のオランダ坂を歩きました。
右側には中学生や高校生が坂を上って登校していました。
中には体の小さな男女の中学生が思い鞄と荷物を背負って学校に向かっています。
「思わず可愛いなあー。」という昔の感情が出てしまいました。
長崎は坂が多い、中々厳しい坂であります。

ひと休みしていると一人の男子高校生が見ず知らずの私に「おはようございます。」という清々しい声を掛けてくれました。
昨日から熊本の地震の様子が頭から離れず心重い心もちでありましたが、一時の清涼剤を彼が与えてくれました。
長崎海星高校の生徒さんでした。
この一人の男子生徒のさわやかな挨拶で、すばらしい学校で、素晴らしい教育がなされていることがわかりました。

犠牲者の方々のご冥福と一日も早く平穏が戻られることをお祈りいたします。

坂本 だいすけ

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