立志式は古来元服の儀式にならい行なわれるものだ。論語には孔子が「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。」と言った。孔子は一生を学問の道に定め、それを決心したのが十五歳だったといっている。立志とは、あることを成し遂げようとして計画し、気持ちを固めること。また、人生の目的を定め、決心することをいう。南中学校では1年生は入学式、3年生では卒業式というけじめの儀式があるが、2年生にはそれがない。ともすると2年生は中だるみといわれがちだが、実は過ごし方によっては大きく友達と差の出る学年でもある。そこで、2年生を励まし、学校の柱となる自覚を高めるため、2月14日に立志式を開催した。今年で2回目である。式では各クラスの代表がそれぞれ全校生徒、保護者、地域の方々の前で決意を述べた。野村紗菜さんは、「親孝行をしたい」福田恵太君は「自分で家を買い親に楽をさせたい」、佐藤七海さんは、「先生の言ったことをもとに頼れる人になる」冨山優香さんは、「決断力のある人になるために、自分を変える」伊藤駆君は「柔軟で積極的な人になる」岸本真由子さんは「これからは責任感をもって生活し、国連職員になる夢を実現したい」とクラス代表としてしっかり決意を語った。1年生の感想の中には「来年は僕らの番だ。」そして、2年生の立派な態度に触発された感想が多くあったようだ。前生徒会長の3年生小林悠乃さんからは後輩に向けて、来年の南中の柱としての期待と励ましの言葉をいただいた。この立志式を機会に2年生諸君は、自分を見つめ大人に近づいていることを考えられたと思う。また、家族や友人、そして先輩のことや後輩のこと、身の回りに居る人や将来のことなどじっくり考えることが出来たのではないか。また、保護者の方々にも今日までの子育てを改めて振り返り、親子のコミュニケーションをさらに図るきっかけとなったのではないかと思う。
東日本大震災から1年が経過しようとしている。あの悪夢が思い出される。未だ失われた家は瓦礫(がれき)と化し、依然として避難所生活等を強いられている方々が大勢いる。大被害を受けた被災地の復興は、瓦礫の処理が行われない限り復興は遅々として進まないと言われている。先日こんなニュースが目に入った。静岡県島田市で東日本大震災で発生した岩手県山田町の瓦礫の試験焼却が島田市のごみ処理施設「田代環境プラザ」で始まった。賛成派、反対派、双方の市民が署名簿を提出しているという。細野環境相、川勝知事、桜井市長らが田代環境プラザを訪れ、瓦礫を手にとって放射線量を測定。細野環境相が「0・07マイクロシーベルトで周囲の値と同じ通常の廃棄物」と安全性を強調した。桜井市長は安全性を確認して瓦礫の受け入れについて市民に理解を得たいとしている。反対派は「放射能の問題は量の多少ではない内部被ばくだ。」という。賛成派は「瓦礫処理が進まないのは日本人として寂しい。」と主張する。
諸君。今、日本の現状はこのとおりだ。何のために学ぶのか。誰のために学ぶのか。よく考えようではないか。個人の健康も大変重要だ。しかし、公の利益、復興を1日も早く実現しなければならないのも日本の重要課題だ。1・2年生の諸君この問題をどう解決したらよいだろう。諸君の知恵を拝借したい。学ぼう、学ぼう、世と人のために。3年生の諸君すっかり大人になった諸君は胸を張って卒業していくだろう。そして、期待している。誰のために学ぶのかと言うことを。諸君の成長と活躍を切に祈り、了とする。
(平成23年度3月)
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