「先ず個性尊ぶことでよいのかと 人の温もり 人の道をば」

 いよいよ、夏休み。子どもたちは、きっと楽しい夏休みを過ごしてくれるでしょう。
 家族と旅行、友だちとどこかへ。中学生ともなると、自立心は旺盛になる。時には家族よりも友との語らいの方が楽しくなるものだ。
 われわれ、教師は、夏休みになると、子ども達のことが心配になる。
 何か大きな事故が起きなければいいなぁ。健康で過ごしてほしい。勉強もしろよ。そして、部活も。そして、ボランティア活動も…。まったく、思いすごし、欲張りなことばかり考えている。夏休みを迎えることを機に、学校(教師)の役割について考えてみる。学校とは、どんなことをするところか。学校は、勉強をするところである。勉強の内容は三つある。
 一つは、食うために勉強をするのである。将来食うことの出来る職業につくために、基礎的な勉強をするところである。
 二つ目は、人間関係の勉強をするところである。友人関係を媒介にして良い面、悪い面を経験して、これからの人間関係づくりの力とする。
 三つ目に知らないことを知るために勉強をするところである。だから自分が知らないことは恥ではない。知らなければ分かるように努力すればよい。
それでは、家庭(親)の役割について考えてみると、親がやらなければならない教育として、三つある。
 一つは、人のものと自分のものとの区別を認識させること。
 二つ目に、ルールを守らせ、責任をとらせることである。もののつぐないをさせること。 「すみません」とは、ものごとが済んでいないということである。
 三つ目は、自制心、心のコントロールをさせること、我慢をさせること。以上、先日、ある講演会で伺った印象深い話であった。人の話を聴くことで自分の考えが再認識された気がした。いつも私は考えている。学校と家庭が、協力し、連携していかなければ、子どもは善導できない。と。
 戦後日本の教育は、個性の尊重を前面に掲げた。戦後60年にならんとしている今日、果たしてそれでよいのかと思っている。先ず、その子の個性を大切にしようなのである。今日、日本の教育で要求されているのは、先にくるのは、個性の尊重ではなくして、人間としての生きる土台ではないか、それは、人としての温かさであり、我慢であり、強さを学ばせることだと思う。その上に立って個性が伸ばされていくのである。
 今をときめく、女子ゴルフ界に彗星の様に現れた弱冠18才の宮里藍選手は、中学生の時に、「臭い、臭い」といじめられ、途方に暮れていたという。その時、彼女の父親が手紙の中で「これからお前を愛してくれる人が一杯出てくるぞ、負けるな。」と励ましの言葉を送ったという。お父さんは親として彼女をいじめる子たちに、怒りと悲しみが沢山あったと思う。しかし、そのことを書いて同情するより、宮里選手へ、これからの人生への希望を語った。このことが、宮里選手の我慢する心、強い心を育てたのだ。
 青少年を取り巻く様々な問題が起こっている。これからは、もっともっと我々教師、大人は、子どもたちに人生を語り、夢を語り、志や体験を語っていかなければならないと考える。そして、人の温もりや人のあるべき道を求められる。21世紀を担う若者を育てるために。
 この夏休みが、それぞれのご家庭の親子の成長の場となられることをお祈りするとともに、二学期にむけ、さらに本校の教育の充実のため、努力を惜しまず、すすめてまいります。祈ご健康。
(平成16年度7月⑵)

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