「何ごとも、難乗り越えて、活路あり生きる力は倍にふくらむ」

 2学期が始まりはや1ケ月、伝統の運動会も夏組が優勝し幕を閉じた。今年は、夏、春、秋の総合得点が1点差という激戦であった。そこに冬組も善戦をしたので、運動会は大いに盛り上がった。
 また、夏季国体では、川口市が開催中心市であったため、本校の1年小野田千波さんが青木公園プールでの開始式で名誉ある炬火の最終ランナーとしてその大役を果たした。そして、吹奏楽部、水泳部、その他多数の生徒が、国体中、式を盛り上げる演奏や役員として活躍してくれた。そうそう、全校生徒もボランティアで、9月9日に主会場となる日頃お世話になっている青木公園を放課後、清掃をした。 また、青中前の道路にある花への水やりボランティアの皆さん、国体に向け、ご苦労様でした。これからも引き続きよろしくお願いします。夏休みを終え早速多くの行事をこなした生徒たち。学校生活に目をむけてみると、自分の目標に向けて、黙々と頑張っている子もいれば、自分の目標を見失いどうしたらよいか悩んでいる子。やけになっている子。(そ
んな風に私には見える)たった一度の自分の人生、良くするも悪くするも自分次第。しかし、失敗しても悔い改め気を取り直して努力すれば、やり直しがしっかり効くのもまた人生。自らの苦しみを乗り越えなければ人間ではない。逆に人間だから、必ず苦しみを乗り越えられるのである。よく、ピンチのあとにチャンスありという。それは、ピンチをしのいだ死にかけた命は黄泉り、その人の力が2倍3倍となるということである。頑張れ、もう一度自分を見つめ直し、修正して、これからの学校生活に挑んでほしい。
 六中観(りくちゅうかん)という人生観を提唱した人がいる。

 忙中閑あり|忙という字は、立心偏に亡ぶと書く。人間は忙しくなると文字通り心が亡びる。どんな心掛けのよい人でも何か失う。特に大事なものを失う。閑(ひま)という字は門の中に木が植えてある。いかにも静かである。忙しさの中に閑をみつけ、静かに親子の会話を大切にしたいものである。

 苦中楽あり|苦しい中に楽しみがある。苦楽というのは相対的なものだ。苦あれば楽あり。楽あれば苦あり。本当の楽しみというものは苦しみの中にある。特に苦しみに通ずる楽しみが本物なのだ。学習も苦しいのである。わかった時に楽しいという実感がわくというものである。

 死中活あり|人間が本当に死地にとびこんだ中にかえって活路がある。死活という。人間、本当に生きようと思ったら死ぬ気でやることだ。子育ても同じだ。栃木県の幼児兄弟殺害事件、どうして親が命がけで守ってやれなかったのだ。何が守ってやれなくてごめんだ。今さら親の言う言葉か。痛ましくて、痛ましくて仕方がない。
 壷中天あり|本人にしかわからない、他人の伺い知るべからざる世界をもって人生を楽しむこと。百姓をしたり、絵を書いたり、短歌を詠んだり、人に左右されない心の世界、芸術の世界、人生観等、一つ自分の楽しみをもつことは大切ではないか。
 意中人あり|出世、あるいは成功した人をみるとよくわかる。金を持っている。地位をもっている。名声をもっている。けれども人をもっていないという人が案外多い。意中の人というのは、まさかの時に真剣な問題を相談すると助けてくれるような親友がいるかどうかだ。本当の友とは、真にお互いを高め合う友のことだ。
 腹中書あり|今まで述べた「五中」が出来るようになるためには、腹中書が必要である。つまり、腹に哲学をもっているかということだ。平生(へいぜい)
から、そういう心構えをもっていれば思いがけない書に出会うとか、すばらしい友を得るとか、意識的、無意識的にいい実を結ぶものである。
 いよいよ10月である。子どもたちの成長をいつも願いつつ、3年生は進路、2年・1年生は、それぞれ学校の中心となって活躍の場が増えてくる。先ず手始めに10月1日から、新人戦が、水泳を皮切りに始まる。57・58期生の活躍を大いに期待したい。
(平成16年度10月)

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