「坂本だいすけ」 経歴 とプロフィール

昭和26年4月7日生まれ
昭和45年 埼玉県立川口工業高等学校機械科卒業
昭和50年  立正大学経済学部卒業
川口市立元郷中学校講師・蕨市西小学校教諭

昭和58年 川口市立在家中学校教諭
昭和62年 埼玉県立川口工業高等学校野球部OB会長
平成 2年 川口市教育委員会指導主事
平成 6年 川口市立上青木中学校教頭
平成 9年 川口市立東中学校教頭
平成12年 川口市教育委員会学務課学事係長
平成13年 川口市教育委員会教職員係長
平成15年 川口市立青木中学校校長
平成18年 川口市教育委員会学務課主幹
平成19年 川口市教育委員会学務課長
平成20年 川口市教育委員会学校教育部長
平成22年 川口市立南中学校校長
平成24年 東邦音楽大学特任准教授

平成27年4月26日 統一地方選挙 川口市市議会議員に無所属で3,541票獲得し初当選する
川口市議会 経済・環境・文教委員会委員
川口市議会 子ども教育・環境向上対策特別委員会委員

平成28年 埼玉県立川口工業高等学校同窓会副会長

平成31年4月21日 統一地方選挙 川口市市議会議員に無所属で3,245票獲得し2期目当選する
川口市議会 総務常任委員会委員
川口市議会 次世代支援・教育向上特別委員会委員
以下の課題を検討します。
1.子どもの発達相談及び支援
2.外国籍児童等への教育支援での多文化共生
3.川口市立高等学校及び夜間中学の充実
4.中・高一貫校の必要性

日本教職員メンタルヘルスカウンセラー協会顧問
同協会認定カウンセラー
川口市教職員メンタルヘルス研究会理事
NPO法人メディカルヘルスケア療法協会顧問

 

趣味 スポーツ観戦、読書

私の好きな言葉

「人生意気に感ず」
この言葉は私の生き方の判断基準です。
ある人、あることに対して沸々と心が燃えたぎり、よし、やってやろうと思った時、私はとことん行動を始めます。

「幾千万人ありとても吾行かん」
この言葉は私が行動するための心の置き方です。
人生には必ず相対する者が居るはずです。
正しいことであると自分自身が信じられたら、誰が居ようと、誰が来ようと、一人になろう、と覚悟を決めて行動すること。
右往左往するより自分自身が納得するのではないでしょうか。

「人の上とならず、人の下とならず」
私の人間観でしょうか。
人間は偉そうなことをいったって所詮、間違いを犯す動物です。
善の心と悪の心が誰しも同居しています。謙虚に生きればよいのです。
しかし、人生、人として生きていくためには人としての誇りは忘れてはなりません。

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教職員のメンタルヘルスについて
平成22年度の全国の教職員の精神疾患による休職者の数は5,407人となっています。
教職員の仕事の内容は近年複雑化しています。
いじめ、不登校、親による子どもへの虐待、給食のアレルギー、対応等々その対応は多岐に亘っています。
学校の中心的役割を果たすべき40代の先生方が精神疾患に陥ったパーセンテージは実に休職者の数の32.5%となっています。
先生方が元気でなければ子ども達が元気になるはずがありません。
精神疾患による教職員は全国と同様川口市も同じようなパーセンテージで出現しているのです。
川口市の元気な子ども達を育てるためには、先生方を応援し元気な先生方になってもらわなければなりません。
川口市民は、寸暇を惜しまず一生懸命に子ども達のために頑張っている先生方を応援しようではありませんか。
具体的には教職員の定数の増加やカウンセリングなど制度的な見直しも大切なこととは思いますが、まずは我々市民が先生方を尊敬し、大切にして教育活動に対して心から応援することが重要であると思います。

日本教職員メンタルヘルスカウンセラー協会

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「教育つれづれ草」私の紹介より
私の紹介

私は昭和二六年四月に、東京の下町、町屋というところで生まれた。
王子駅から今でも唯一残っている都電の三ノ輪行きに乗って十五分位で着くところだ。
いかにも下町という雰囲気が今でもあり、二年前に尋ねたが何となくほっとする気持ちは、私に下町気質の血が流れているからだろうか。

父は、さきの戦争でソ連(現ロシア)に捕虜としてシベリアに抑留され、零下五十度の世界を経験し、昭和二三年に奇跡的に裸一貫で帰国した人だ。
そのような中で私は三番目の子として生まれた。
父母は、子ども達を食べさせ育てていく為に必死であった。
父は朝早くから夜遅くまで働いていた。
母は内職をして家計を助けた。
しかし、それでも足りない現状であった。
私は覚えている。
靴下の継ぎ接ぎの事を。
小学生の時だった。
泥だらけになって遊ぶ年頃だ。
子供用の靴下も底をついた。
母は、父の穴のあいた靴下を継ぎ接ぎ、これを穿きなさいと私に手渡した。
大人の靴下。
子どもの私にとっては何とも違和感があった。
これを穿くのはとても気恥ずかしかった。
それに継ぎ接ぎがしてあったから余計だ。
本来ならばこんな恥ずかしい物穿けるかと、突きかえしたい気持ちだった。
でも、その靴下を私は素直に穿いて友達のところへ遊びに行った。
恥ずかしかった。

私は毎日父と母の働く姿を見ていた。
貧しいながらも子ども達にたらふくごはんを食べさせたい、おいしい物を食べさせてあげたい、そんな母の気持ちが、子ども心に痛いほど伝わっていた。

中略

私は子どもの頃からいたずら坊主で先生や友達、近所の人たちにも随分迷惑をかけた悪童だった。
しかし、大きく道を逸らさず、何とかここまで人生を送ってこれたのは両親の愛情があったればこそだ。
親を裏切ってはいけない。
何か誘惑があるとこれがブレーキとなった。
感謝の至極である。

 

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「坂本だいすけ」市政報告はこちらから