「抑制の美学」

過日、大相撲を中心として、40数年スポーツアナウンサーとして、活躍した元NHKアナウンサー杉山邦博氏の講演を伺う機会を得た。その講演の中からいくつか印象に残る話しをしたい。
1.「してやったりということについて」
この度引退した2代目貴乃花が2回目の優勝の時、今までどうしても勝てなかった曙関(すでに引退)に勝って優勝の折、杉本アナウンサーが勝った貴乃花を見て「してやったりという顔をした」と実況した。ある時、そのことについて貴乃花本人に直接その時の心境を聞いたところ、「そう思われましたか、恥ずかしいところをお見せしました。私の未熟なところです」と答えたという。当時、弱冠二十歳の若者の言葉である。
相撲道では「敗者の胸中を察して過ごせ」という教えが綿々とあるという。
2.「我、未だ木鶏足り得ず」
不生出の名横綱双葉山が69連勝を続け、70連勝に掛かろうとした時、安芸の海に負けと連勝はならなかた。しかし、双葉山は残念そうな素振りも見せず、支度部屋に戻り、インド洋上の船中にあった尊敬する安岡正篤(当時歴代の総理大臣達が師と仰いだという人物)先生に電文を打った。「ワレ、イマダ、モッケイ、タリエズ、フタバ」と。木鶏とは、本当に強い闘鶏は空威張りもしないし、むやみに戦闘的でもなく、ちょっとみたところ木鶏(木で作った鶏)のようである。そうなれば徳が充実し、敗北も超越して天下無敵になると。双葉山は安岡先生に教えられたそうだ。
日本の伝統である国技、相撲の精神には、抑制の美学がある。勝っても絶対にガッツポーズをみせない、負けた相手を慮る美学がある。そして負けても残念そう素振りも見せない威風堂々とした抑制の美学がある。
私は、今、日本人に消えうせてしまった日本人の美しい精神を、この相撲道の精神にみるのである。
卓球部、剣道部、陸上部の県大会出場を皮切りにして、夏季休業に入ると市民選手権が始まる。本校の生徒には、試合は相手があるから、行えるものであるといいたい。この相撲道の精神はどのスポーツにも通じるものがある。青中生として誇りをもってプレーしてほしいことは勿論、勝敗に関係なく、さすが青中生と言われるようなしっかりとしたマナーをもって試合にのぞんでほしい

(平成15年度7月)

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