「子の善導 親と教師が 共働 し 額(ぬか)に汗して 叶うものなり」

  「学校とは、子どもが、社会に出るための訓練の場である。決して、子どもにとって楽なところではない。また、楽な道へ進ませるべきところではない。」こんなメモが自筆で、認したためめてあった。ある時、私が自分の心境をメモ用紙にしるしたものであった。今、この日、この時、この事を痛感しているのである。
 また少年による凶悪犯罪があった。大阪の寝屋川市の小学校で、17 才の少年が居合わせた教師を刺殺したという驚くべき事件である。調べによると、この少年は、事件のあった小学校の卒業生で、在学当時、いじめにあい、当時の担任の先生が、適切な解決をしてくれなかったことを恨んだ犯行との事であったが、その事実はなさそうとの事である。仮にそうだとしても、だからといってこのような凶行に及ぶとは、人間としての判断力に大きな疑問を残すところである。少年が、どうして、この様な行動に出たのか、本人の動機も曖昧のようだ。
 少年は、大変なゲームマニアで、自宅には、沢山のゲームが、山積みになっていたという。中学時代は、夜中までゲームに夢中になっていたために、学校は遅刻、授業中は寝ている。やがて、学校は欠席がちとなり、ついには、不登校になっていったという報道である。
 少年は、今、巷で話題となっているゲーム脳ではないか。日本大学大学院及び日本健康科学行動学会会長の森 昭雄教授は、ゲームに熱中する子どもの脳波を調べたところ、それは、ちょうど痴呆症の老人と同様であったことを発見したそうだ。脳は使わなければ退化するという。毎日、何時間もゲームをすることによって、少年の脳は退化していった。本来、体を動かそうという本能や物を考え判断するといったことが出来なくなってしまった。自分のやったことが、わからなくなってしまい反省の念も現実に出来なくなってしまったということか。
 最近の青少年をみると、自分のやったことに対し、深く反省し、次に生かそうという思考回路が薄くなってきていると感じているのは私だけであろうか。脳は、教育環境によって神経ネットワークが変化するという。また、森教授は、家庭がダメなら学校で頑張ってもダメであると断言している。科学的には、その通りなのかもしれない。しかし、学校教育を預かる者としては、それを額面通り受けとるわけにはいかない。学校で友だちとこんなことがあった。先生にこんなことを言われた。授業がつらかった。部活動がつらかった。友だちと仲良く出来てうれしかった。先生に相談をして悩みが解消出来て、とても安心した。友だちや先生の真剣な姿に感動した。学校には、悪いことも、良いことも、様々、沢山のドラマがある。そのことが、子どもたちの脳を刺激して、健全な脳の発達に寄与し、そして、その積み重ねが、好ましい人格形成へとつながっていくものなのである。子どもの悩み、つまずき、それをそのまま鵜呑みにして聞くのではなく、大きな器の中で、泳がせて、ぶつかり合いをさせて、大いに刺激を与え、我々教師、保護者がともに汗を流して、共働し、みつめ、支援していく度量が、子どもを善き道へ導き、やがて、立派な社会人として巣立っていくものと考えている。
 さあ、卒業生諸君、巣立ちだ。胸を張って、生きていく力をさらにつけろ。卒業おめでとう。在校生諸君、まだまだ自分を磨け、甘えていては成長しないぞ。脳は退化する。頑張れ。
(平成16年度3月)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です