「受験戦、わが身の幸運祈る子等ら 、 果報 は練って待つというなり」

1月22日(木)より、いよいよ3年生諸君の進路を決定する、私立の受験が始まりました。そして、公立推薦、公立一般受験、就職試験と続きます。さて、3年生諸君の心境は、何とか希望するところに合格したいという切なる思いがあると察します。その思いは、本当によくわかります。校長面接での諸君の切なる思いを私に吐露する心情は、私の胸を打ってとまりませんでした。
何とか合格してほしい。希望通りの進路を歩ませてやりたい。校長の胸の内は保護者の皆様とまったく同一であります。さて、「果報(幸運)は寝て待て」という言い伝えがあります。本当でしょうか。運というものは、果たして寝ていてくるものなのでしょうか。人の運というものは自ら引きよせてくるものなのではないかと考えるのです。運という字は「はこぶ」と読むから我が身を運の神様に近づくように運んでいって、運を自分に引き寄せてくるものではないかと思うのです。
「果報は、寝て待て」といいますが、これは「練って待て」が誤って伝えられたものだ。ということを聞いたことがあります。
練るというのは、辞書を開いてみると①金属を焼いて鍛える。②こねてねばらせる。③よく訂正して仕上げる。④あれこれと考える。などの意味がありました。
つまり、練るというのは、自分自身が目標・目的を成就させるために、艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、心身を鍛錬し、それを克服することによって、果報(幸運)を引き寄せるのであると思うのです。
果報は待っていてくるはずがありません。幸運をもたらす為には、日頃から、自分を練っておかなければなりません。練ることを怠っていれば、運をはこび、引き寄せようとしても我が身が鍛練されていないので、運を肩に乗せても、耐えられず運もろとも倒れ去ってしまいます。
目標・目的を達成する人は、自分を練った人なのです。果報を寝て待つか、それとも自ら努力をし、鍛錬をして引き寄せていくかの差で、果報は大きく変わると思います。努力をしない者に、良い結果はないのです。今からでも遅くはありません。よくよく練って試験にのぞんでほしいと思います。悔いが残らないように。頑張れ、3年生。
1、2年生はこの教訓を心して、今後の学校生活に生かしていってもらいたいと思います。
(平成15年度2月)

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