ソビエトに当時満洲に居た日本軍兵士をソビエト軍が日ソ不可侵条約を破って満洲に攻め入り100万人といわれる日本人を厳寒のシベリアやソ連邦の国々に捕虜として抑留し重労働をさせて十万人と言われる日本人が亡くなりました。
大東亜戦争が日本の敗戦で終結したにも関わらず、シベリアなどに抑留された我が国兵士は当時のソ連邦今のロシアは中々故郷日本に帰還させてくれませんでした。
終戦後1年4ヶ月後第一次帰還船が舞鶴の桟橋に到着時ました。
その後暫くして少しずつ帰還船が舞鶴に到着したのです。
小さな桟橋に舞鶴に帰還した兵士は、次々に小さな船に乗り移って写真にある舞鶴平にある小さな桟橋に辿りついたのです。
私の父親もシベリアからこの桟橋に辿り着き帰還したのだと思うと一縷の涙が浮かんできました。
着替えもなくシラミの宿る帰還兵はやっと風呂る事が出来て、ホッとした思いで、東舞鶴駅から各々故郷や家族の元へ帰って行ったそうです。
その際、舞鶴の市民達は列車に乗る帰還兵にお茶やさつま芋で慰労されたそうです。
当時の舞鶴市民には感謝しかありません。
日本人としての慰労感謝の念だってのでしょう。
素晴らしい振る舞いですね。
初めて訪れた舞鶴、父親がお世話になった舞鶴、感慨深い1日となりました。
また、宿泊したアマビレ舞鶴松榮館は明治からの由緒あるホテルでした。
皆さんもし、舞鶴にお越しの節はこのホテルをおすすめ致します。
舞鶴は海軍のあった港で現在は、海上自衛隊があるところでもあります。
軍艦も停泊していました。
アマビレ松榮館にあった資料館の掛け軸です。























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