皆さんお疲れ様です。
パリオリンピック日本選手団が続々帰国しました。
本当にお疲れ様でした。
重責ご苦労様でした。
暫くはゆっくりとお休みください。
そんな中、卓球選手、銅メダリスト、銀メダリストの早田ひな選手がこれから何がしたいですかという質問にアンパンマンミュージアムと卓球が出来る事は当たり前ではない、だから鹿児島の特攻資料館に行きたいと答えました。
今どきとは失礼ですがその言葉を聴いた瞬間ビックリしましたが、感心して涙が溢れてきてしまいました。
素晴らしい考えです。
きっと早田ひな選手のご両親の教育なのでしょう。
久々に心清々しい気分です。
いみじくも明日8月15日は79回目の終戦の日ですね。
先の戦争で散華された方々、そして犠牲になられた方々実に300万有余の方々となります。
感謝の思いとご冥福を🙏お祈り致します。
実は、私は8月11日から本日14日迄、山口県に視察と勉強に参っております。
国を思い、世の中を変革しようとされた歴史上の人物を訪ね歩き思いを致す機会と致しました。
先ずは山口県周南市大津島にある回天特攻記念館並びに人間魚雷訓練基地を訪れました。
大東亜戦争末期、本土に亜米利加が攻めて来るそれには敵艦に爆弾を撃ち込むしかないと黒木、仁科の海軍少佐の発案で開発され全国から千数百人の17歳から20代後半の若者が志願し、145名の若者が我が国を、家族を、恋人を守るのだと信じて一人魚雷に乗り敵艦に体当たりしたのです。
この行為今であれば誰しも批判するでしょう。
しかし、当時の戦況を慮った若者の心情一死をもって守るという心情だれが批判する事が出来ますか?
人は誰しも大切な人を守るという思いはあるはずです。
この心情は今を生きる我々は感謝するほかないではありませんか?
早田ひな選手もきっとそんな思いで発言されたのだと思います。
この発言にまた、SNSで批判する輩が必ず出て来る事が予想されますが冷ややかに受け止めましょう。
そして、下関に移り源平の合戦壇ノ浦の戦い、下関海峡を見てイギリス、アメリカ、オランダ、フランス四ヶ国と長州が戦った馬関戦争高杉晋作が活躍しました。
高杉晋作が暮らした東行庵、そしてお墓に参りました。
下関に来たからは日清戦争で我が国が勝利し時の総理大臣伊藤博文と清の重臣李鴻章が戦後処理の会議を行なった春帆楼を訪ねました。
会議の模様のテーブルと椅子が設定されて臨場感溢れる展示でした。
更に新山口駅からバスで萩に向かい吉田松陰の薫陶を受けた高杉晋作をはじめとする久坂玄瑞、のちの初代伊藤博文など維新の志士たちのゆかりの場所を訪ね維新の空気を存分に吸って来ました。
また、下関長府にある乃木希典の旧邸は当地乃木神社の中にありました。
誠に質素極まりない旧邸でした。
また、高杉晋作が奇兵隊八十数名で挙兵した功山寺は境内は決して大きくはなく、当時の様子を想像しながら参拝しました。
感慨深いものがあります。
時、今や政治改革が叫ばれている現代、高杉が何を思うだろうか?
安倍晋三さんは亡くなられたが、自民党林官房長官も長州、山口県出身です。
長州出身歴代総理大臣は8人をかぞえるそうです。
そう言えば山口県の道路は本当によく整備されていると地元の運転手さんが言っていました。
確かに道路綺麗でしたね、あちこちが。
しかしながら長州の獅子達は真剣に命をかけて世を憂いていた様子が現地に行って生に感じました。
大変有り難い視察でした。
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