「非行の芽 今に芽ばえる はずはない 家の窓から 学舎の窓から」

 一昨年、朝の始業時における生徒の遅刻の多いことに驚いた。早速、様々な手を打った。登校時刻を早くしたり、職員の朝の打ち合わせを週1回にし、担任の出席確認を確実に行ったり、ご家庭での協力を強く要請した。
 お陰様で、年々、遅刻する生徒は減り、今では朝8時20分には、事情のある生徒以外は、すべて出席確認が出来、遅刻は皆無に近い状態になった。
 保護者の皆様、ご家庭の協力の賜物である。
 「何事も最初が肝心」である。朝のスタートが遅刻では、1日が様にならない。
 さらに、社会に出て会社に1日でも遅刻すれば、その人の評価は決してよいものとはならず、ましてや続けて2〜3回遅刻すれば、その人は「時間に甘い人間」ということになってしまう。つまり信用を失うことになる。社会とは、厳しいところである。我々大人は、そのことをよく知っている。学校とは、子どもを社会に通用する人材に育てるための訓練の場である。だからこそ時には厳しい試練を強いることもある。教師から厳しい叱責を受けることさえある。
 このようなことを経験し、乗り越えてこそ社会に出て、強く、逞しく、事ある時は、その経験を生かし、冷静に人間としてやさしさをもって対処出来る人間に成長するものであると思う。
 先日、ある会合で、川口警察署、武南警察署の課長さんの話を聞く機会があった。青少年の非行についての話である。補導、検挙した子どもの傾向は ①他人の痛みがわからない。 ②社会のルールを知らない。 ③地域の人におこられていない。 ④コンピュータ、インターネットによる有害情報の取得に親の目が届いていない。等であった。
 私は、毎日、子どもたちと接していて親や大人から怒られていない子が多いと感じている。日々の生活のなかで、露骨にいやな顔をしたり、いやな態度で表現することがある。しかしその事で、傷つく人がいること、人として大切な思いやりや心配りを見落としている。地域の人や大人から怒られていないということだが、善意で怒っていただいても、逆に反抗して、地域の方々に不快感を与えていることもあった。相手の立場、気持ちを察し、反省できる素養が備わっていないた
めである。
 それを、教えてやるのは、親であり、教師であり、大人である。社会のルールを守るとは、人々がお互いに快適な社会生活を営むための一人一人の気遣いである。それを、子どもたちが教わっていないのである。
 私は、今、子どもたちを真剣に叱り導けるのは親と教師であると思っている。世の中に出て社会人となって、本気になって一人の人間をたたき直す人が、どれだけいてくれるか。そんな余裕はない。ほとんど皆無に等しいと思う。しかし、学校は違う。教師は違う。真剣になって、良いことは誉め、悪いことは正そうと指導してくれると思う。我々教師は、自信をもってこの指導をすすめていかなければならない。時には、怒鳴りつけることだってある。人生の中で怒鳴られ、叱責され、厳しく反省させられることがあっていい。世に、聖人君子はいない。皆自分の至らなさを反省し、修正して大人になっていくのである。
 今こそ、学校と家庭、保護者の皆様と相互理解と協力が必要であると痛感している。
 今年は夏休みに、全学年で家庭訪問を実施することにした。事あるごとに、保護者の皆様には学校に来ていただいております。逆に我々教師がご家庭に出向くことも、大切な意義があると考えます。その節は、何卒ご理解の程、快くお迎えいただきたいと存じます。協働して、大切なお子様を善導してまいりましょう。子どもたちへ、ご家庭の窓から、教室の窓から、明るい光を発信していきたい。

(平成17年度6月)
 

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