「豊かなる 世の中に在 あり 気づかぬは 謝恩心辛苦の備え」

 「不運に耐えるよりも、幸運に耐える方がより大きな美徳を必要とする」
 フランスの文学者 ラ・ロシュフーコーという人(1613年〜1680年)の言葉である。
 この人が生きた時代、日本では、江戸時代の初期、徳川家康によって、幕藩体制の確立をみた頃で、武家諸法度、参勤交代、島原の乱、鎖国が完成した。
 西欧では、オランダによる東インド会社の設立、イギリスの清教徒革命、フランスのルイ14世による絶対王政の時代である。
 その頃ラ・ロシュフーコーは、前述した人間観を残している。
 この言葉は、「人間は、幸運、豊かさ、幸せなどが日常になると、当たり前になってしまって何の感謝の念ももたなくなってしまう。」ということである。このような感情は、だれしもありがちな感情ではあるが、いつまでも、幸運や豊かさや幸せは続かないのだ。いつかくる辛苦に備えようという謙虚、見識、常に先を見通した感性が必要ではないか。と言っているのである。
 日本には「貧乏七代なし、金持三代なし」という諺もある。
戦後、我国は、60年を迎えようとしている。敗戦となり、焼け野原と化した終戦当時の日本人は、困苦欠乏に悩み、必死になって働き、敗戦の困難を乗り越えて、昭和30年代から、経済成長の渦を築いていった。この頃の日本人は、誠にしっかりしていた。
 しかし、経済的に繁栄し、豊かで平和な日本が築かれた現在は、私自身も含め、日本人一人一人が、この現状をいつまでも続くことが、当たり前と考えているように見える。人間は、豊かにそして幸せになると、困難、苦しんだ時のことは忘れてしまいがちである。そんな時こそ、困難な時のことを思い出し、辛苦に備えるべきである。
 今年も、日本のあちこちで、成人式が行われ、またしても、傍若無人な行動をとる新成人といわれる輩がいた。教育の当事者である私は、今までの教育の成果がここに表れていると責任を痛感している。
 「戦後教育は・・・」という批判がある。私自身、33年前の成人式でこれから成人となる、自覚、緊張感、責任をひしひしと感じたことを、昨日のように鮮明に覚えている。私だけでなく、私の友人たちも皆その様であった。それに引きかえ、一部ではあるが、何たる様か、情けなくて仕方がない。日本の行く末が本当に心配である。心してかからなければ、日本はどうなってしまうのか。根本的に青少年の育成について改めていかなければと考える。
 3年生諸君は、1月22日から私立の受験が始まった。私のところにも、生徒諸君から喜びの知らせが次々と届いている。
 「受験」だれしも経験する人生への通過点である。結果がよければ、幸運に耐え謙虚であってほしい。
 そして、これから続く、同級生の幸運を祈り応援してほしい。皆で、笑顔で卒業が出来るよう、あと1ケ月半、後輩達の見本となる3年生として、有終の美を飾れるよう努めてほしい。
(平成16年度2月)

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