「寛容と 厳しさあわせ 指 し示す 教えは今も 変わらなきなり」

 「何でもあり」という言葉がある。この言葉の前に「今の世の中」を入れると「今の世の中、何でもあり」とつながっていく。
 「ホリエモン」今や日本国中の誰もが知っているこの人が、「金で何でも買える。人の心も金で買える」と言ったという。「何でもあり」「オレオレ詐欺」「やってもいないことをやっていたと選挙で選ばれた国会議員が堂々とガセネタを国会で追及し無駄な時間を浪費する。」「青少年はお年寄りや女性などの弱者を狙ってひったくり事件を起こす。」「おやじ狩り」といって弱そうなサラリーマンやおじさんを狙って金をまきあげる。どれもこれも卑怯者のやること。情けない。
 私だけでない。私の先輩や同年代の男子は、「男というものは卑怯なことはするな」と、よく父親や近所のおじさん、先生から言われたものだ。
 今やこの日本では、卑怯者という言葉は死語になってしまったのだろうか。子どもたちには、もっと厳しく、厳正な教育がなされていかなければならないと思う。
 校長としていったいこの現状をどうしたらよいかを考えていた。上杉鷹山が思い浮かんだ。
 上杉鷹山は、アメリカの第35代大統領のケネディが最も尊敬した日本の政治家である。鷹山は米沢藩(今の山形県)の行財政改革を、苦難の連続の中で寛容と厳正をもとにリーダーシップを発揮した。
 上杉家は、川中島の戦いで有名な上杉謙信を初代とする所領三百万石といわれた藩主である。
上杉家が、九代重定の頃には、米沢十五万石と小さくなって財政は極度に悪化していった。鷹山は十歳の折に九州高鍋藩から婿養子に入った。妻となった上杉家の幸姫は、十歳の身体に五歳の知能という障害児であった。鷹山は童女のような妻を限りなくいたわり、その愛情を藩の領民たちにも注ぎ、17歳にして養父重定のあとを継ぎ、藩主の座についた。そのとき詠んだ歌が「受けつぎて 国の司(つかさ)の 身となれば 忘るまじきは 民の父母」である。「藩主となったからには、領民たちの父であり母であることを忘れずに、仁愛の政治を心がけていこう」と心に決めたのであった。

 藩の行財政改革にあたっては三本の大きな柱を立てた。

1、出(い)ずるを制する(無駄を省くこと)

2、入(い)るをはかる(産業を活発にすること)

3、人づくり(人材育成、教育をすすめること)。
 鷹山は、柔軟な思考力と厳しさをもった実行力によって、武士たち領民たちの先頭に立って手本を示していった。藩の立て直しの大事業には、旧来の因習に固執する重臣たちの抵抗にあったが、幾たびの挫折と苦難を乗り越えながら30
余年の月日をかけてようやく米沢藩の行財政改革を成功させたのである。
 「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」鷹山の生涯の信条歌である。
 上杉鷹山に思いを馳せ、「今、何でもありの世。大人も青少年もこれでよいのか」と憂いながら、自らを反省し、もう一度魂を入れ直して頑張ろうと思う。
 卒業生諸君、在校生諸君、なんでもありは世の中で通用しない。自分本位も通用しない。通用するのは、寛容と厳正である。
(平成17年度3月)

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