「美を求め 世の行く末を 託す人  志(こころざし)掲げよ 高くに強くに」

 新年明けましておめでとうございます。新春とはいえ何となく晴れやかな気持ちになれないのは私だけでしょうか。やはり、東日本大震災の被災者の方々のことを思うとすっきりとした気持ちにはなれません。今年も日本は被災地の復興を一日も早く実現するために努力をしていかなければなりません。そのために、我々も引き続き応援して行こうではありませんか。
 さて、年頭にあたり皆さんも今年一年の抱負を心に決めたことと思います。私も決めました。それは、「美を求める。」ということです。昨年暮れに、美術館に行ってきました。絵の鑑賞の仕方がわからないので、そばにいた美術に造詣の深い方に聞いてみました。それは、「自分がここはいいな、と思うところを見て感じればいいんですよ。」と教えてくれました。なるほど、そう思ったら絵を見る視点がわかってきました。そのことがきっかけで、「美とは何だろう」と考えてみました。ある本に、「美しいものを目指すことが万事において真(しん)(まこと)へ達する道であり善(ぜん)(よいこと)に到達する道なのだ。」と書かれていました。これだ、と思いました。
 今、世界は混沌としています。日本もその影響をもろに受けています。EUによる経済危機や北朝鮮の威嚇等々。国内では、毎日のように起こっている殺人事件、老人など弱い者を標的にしたオレオレ詐欺など、後を絶たない現状。一体我が国はどうなっていくのだろう。心配しているのは私だけではないでしょう。
 諸君はモースという人を知っているでしょう。明治10年にお雇い外国人として東大の教授となり大森貝塚を発掘したその人が、「日本には貧乏人はいるが貧困は存在しない」といったのです。欧米では一般には裕福とは幸福を意味し、貧しいとは惨めな生活や道徳的堕落や絶望的な境遇を意味していました。また、明治6年から38 年間日本に暮らしたイギリス人バジル・チェンバレンは「日本人は、金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない、我々はみな同じ人間だと心底から信じ
る心が、社会の隅々まで浸透している。」といっています。そして、明治22年に来日したイギリスの詩人エドウィン・アーノルドは「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。」とし「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめる。すべてのことにおいて、あらゆる他国より一段高い地位に置くものである。」と語っています。さらに、フランスの劇作家、詩人として知られ大正10年から昭和2年まで駐日フランス大使を務めたポール・クローデルは「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格がある。彼らは貧しい。しかし、高貴である。」といったのです。彼の姉はカミーユ・クローデルといっ
て著名な彫刻家であり、数年前に我が川口市でその作品を「二人のクローデル展」として展覧会が開かれたのでご承知の方もおられるでしょう。
 前述した方々はいずれも欧米人です。日本に暮らして、当時の日本人の貧しくも豊かな心もちに甚(いた)く感動しているのです。「ボロは着てても心は錦」という言葉があります。昔の日本人は貧しくも豊かな心を持っていたのです。一方、東日本大震災では日本中が被災地への心からの支援が行われています。震災によって日本人の豊かな心が復活してきたようです。今年も志を高く、強く掲げ、美しい日本人の心を求め、真(まこと)の道、善(よいこと)の道へと通じるよう精進していきたい。 諸君も頑張り給え。
(平成23年度1月)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です